「BYND落ちしてきました。」
という自己紹介ではじまった、と記憶しています。
広告のデザイン会社でアートディレクターとして働く私は、仕事の案件で動画撮影のディレクションの失敗から、一度基礎から学んでこいというBYNDのOBである上司の一言で、受講が決定しました。
ある意味「罰ゲーム」的にBYNDの門を叩こうとする私は、初日からどう楽しい時間にするかだけを自分なりに考え、恥ずかしいけれどまわりのクラスメイトに積極的に話しかけることにしました。話すうちに気持ちはすぐに晴れました。そして少し罪悪感を感じたのです。
私と違い、動画への高い志をもつクラスメイトたちは、様々な世代・職種の有志で、必死で知識を吸収しようと目をキラキラと輝かせ、ギラギラした野心をもっていました。
関西から自己研鑽のために自費で毎週東京のBYNDに通う人、つくりたいものがあるのに表現手段がわからないワーママ、土日がメインの仕事でいつも遅刻してでも通学してくる人、仕事を引退した孫のいるおじいちゃん、などなど。そのキラキラした目で学びに来ているクラスメイトの前でネガティブな自分が恥ずかしくなるぐらいでした。
今思い出すと初日の登校前には、きっとセンスのある将来有望な若いクリエイターたちが「今後のためにとりあえず基礎を学んでこいと会社に言われたので」と作品の質で追い込んでくる辛い学校だろうと私は勘違いし、BYND自体を色眼鏡でみていたのです。
しかしセンスやスキルの人ではなく、オリャー!と勢いのある「勇気」と「好奇心」で自分を変えられる人々が集い、騒ぐ場だった(笑)というのがBYNDだ、と今ではおもっています。
私はモーショングラファー(オプション講座受講)〜ビデオグラファー(オプション講座未受講)を諸々含めて通しで合計3カ月間、無遅刻・無欠席で受講しました。ありきたりですが、もう終わったのか、ちょっと寂しいという気持ちが強いです。
1コースの授業内容はさすが1カ月に凝縮された内容なので、課題提出も含めて正直難しかったです。でも一緒に受講したクラスメイトは「難しくて、ついていけなかった」という人はいなかったです。仕事ではないので、わからなかったら「わからない」と言えばいい、もっと知りたければ「教えて」と言えばいい。それだけです。誰一人笑ったりしません。先生はもちろん、TAやBYNDスタッフ、教えたがりのクラスメイトたちにすぐ囲まれます。また、「その失敗、仕事でもよくあるよ」「こうすればもっと作業早くなるよ」を知れる環境は教室に集まる双方向のコミュニケーションならではだなとおもいます。
After EffectsとPremiere Proが使えれば、70点のものは作れます。
本業でもよく言われていることですがアプリケーションは表現のための「いち」ツールです。仕事としてお金がもらえる作品、人を笑わせたり泣かせたりする100点以上の作品づくりには、BYNDのようなコンセプトワークの授業や、自分の作品をプレゼンテーションする場が必要なんだろう。というのは私の持論なので反論は受け付けません。
私は毎週提出する課題に笑ってもらえる、(人として)モテるポイントを入れられるよう心がけました。手は抜かなかったつもりです。結局毎回、他のクラスメイトの課題に敗北感を感じることになるんですが、それも良さの一つ。
そして私自身はこれから自分のためではなく、企業ブランドやマーケティングの数字がともなう他者利益のための作品づくりが始まります。始まってしまうのです。
BYNDでは本業となるべく離れた作品をつくっていたので、大丈夫だろうか!?という冷や汗とモヤモヤの次にすぐ「お前なら、“どうせ”大丈夫」と言うBYNDの先生、クラスメイトの顔が浮かぶような気がします。人間っていいなと。
まだ0.5歩目の「勇気」ある動画クリエイターたちに栄光を。
BYNDER:KEI N.
COURSE:ビデオグラファー(2024 SPRING CAMP)/モーショングラファー/チューン・オブ・モーション(2024 WINTER CAMP)
WORKS:ビデオグラファー/モーショングラファー