有料の講座は、もう二度とうけない。
と思ってた自分が、こうしてBYNDの卒業生として文章を書いているから、人生はふしぎである。

20代のころ、たくさんの講座を受けてきた。
webデザインの講座、編集者の講座、ライター講座。どれも「これ受けたら人生変わるかも!?」なんて思って、安くないお金をはらって受けるのだけど、終わってみれば、それまでと変わらない、凡庸な自分がそこにいた。

なかには、事前のうたい文句と講座の内実がちがうものや、「あんまりよくわかってない生徒向けにそれっぽい授業をやって、お金を儲けられたらいい」的精神がにじみでているもの、先生にオレンジジュースをぶっかけられてべったべたにされたあげく、「あ、ごめん!適当にふいといて!じゃ!」とうやむやにされるような講座もあった。

いちおう名誉のために補足しておくと、「講座を受けても変わらない」は学校側だけのせいではない。僕という人間が意志はくじゃくで、決めたことをつづけられない怠惰な人間だから、っていうことが大きい。8割くらいそのせいといってもいい。

そんな僕がBYNDのビデオグラファー講座を受講しようと思ったひとつのきっかけは、説明会で担当者の方がすごく親身に話を聞いてくれたこと。講座を受けるうんぬんのまえに、一人の人間として話を聞いてくれた。「こういう誠実な人が関わっている講座なら、受けてもいいかもしれない」と思った。

くわえて、対面の授業だったこと。怠惰な自分でも、仲間と一緒に切磋琢磨できる環境であれば、がんばれるかもしれない。そう思ったのだ。

僕の見立ては当たっていた。BYNDのみなさん、めっちゃやさしい。生徒、めっちゃいい人。先生は授業以外でも、放課後は親身に質問にこたえてくれ、授業後もSNSで相談にのってくれた。ジュースをぶっかけてくる人もいなかった。おなじ講座を受けた仲間とは、授業で協力するのはもちろん、ファイナルワークの時期にはLINEグループで「撮影行ってきます!」「がんばって!」と励まし合う仲になった。

こうした人たちがいてくれたおかげで、短期集中、仕事の合間に動画を制作するハードな日々も、自分が「やりきった!」と思えるまで走り切ることができた。この達成感は、大学受験以来かもしれない。

これだけネットに情報が落ちているなかで、お金を払って講座を受ける意味があるとしたら、それは「誰かと共に学びあえること」なのだと思う。信頼できる先生がいるから、思い切って失敗ができる。自分よりすごいライバルがいるから、「なにくそ!おれもやってやろう!」と思える。ふざけあい、弱音を吐ける仲間がいるから、もういいやと投げ出したくなるとき、最後のひと踏ん張りができる。そういう、「誰かと共に学びあえる」機会が、BYNDにはあった。

ここで得た関係は今も続いていて、仲間たちと「こんど旅行に行こうよ」なんて話してたりする。あんがい、学べた知識やスキルより、この関係性のほうがかけがえのないようなものな気もしている。

 

BYNDER:YAMANAKA SAMPO
COURSE:ビデオグラファー/スケッチ・フォー・ビデオ(2024 AUTUMN CAMP)
WORKS:ビデオグラファー